夜のお散歩

 深夜の街は昼間と随分雰囲気が変わる。相変わらず鳴り止まないサイレンの音に、男女が楽しげに騒いでいる声。人が揉めていたりする声も今は心地よい。行き先を決めることなく歩いていた。何がきっかけかは分からないけれど、眠れない日はこうしている。

「……あ、」

 程なくして、後方からブオンっという独特のエンジン音が聞こえてきた。予想通り、振り返ると道の脇には真っ赤なマスタング。思わぬ彼の登場に笑みを浮かべながら車内を覗くと、赤井さんが窓を開けてくれた。

「赤井さんこんばんわー」
「何をしている」
「え?……あー、えっと帰る途中です」
「乗れ」

 えっ、乗るんですか?と言いそうになったけれど、赤井さんは早くしろと言わんばかりに顎を動かした。

「じゃあ、失礼しますっ……あの、赤井さ、」
「どこへ行っていた?」
「……ちょっと、買い出しに?」
「家の方向、逆だろう?」
「ついでにお散歩を……」
「こんな夜更けにか?」

 赤井さんはまるで尋問のように、質問を畳かけてくる。その詰め方はまさに。

「なんか……怒って、ます?」

 赤井さんは返事をすることなく荒くUターンすると、私の家の方へと車を走らせた。

「家まで送る」
「……え、っと、」
「なんだ、帰るんだろう?」

 そこでようやく赤井さんと目が合うから、その瞳の奥を知った。どうやら怒ってはいないらしい。

「帰りは、帰りなんですけど……」
「なら、黙って乗っていろ」

 送ってもらうほどの距離ではないのにな、と喉まで出かかっていたのを、ぐっと飲み込む。赤井さんはたまに、有無を言わせないオーラを放つ時がある。今がその時だ。こういう時は素直に言うことを聞くのが一番。

「じゃあ赤井さんは?今日はどうして……?」
「俺も帰るところだった」
「……もしかして、仕事ですか?」
「どうだろうな」

 赤井さんの私生活は、謎に包まれている。その言い方からは、どっちとも取れないけれど、相変わらず睡眠はそっちのけなのかもしれない。相変わらず隈は濃いままだ。

「女の子と上手くいかなかった、とか……?」

 そう聞くと、彼は眉間に皺を寄せる。

「何故そうなる」
「……こんな、夜更けですし?」
「それは君もだろう」
「私は、別に……」

 また、少し重くなってしまった空気。なんだか今日は会話が上手くいかない。赤井さんの言葉の節々に棘を感じて、じっとしていられなかった。

「じゃあ……そうだ!赤井さん夕食は?」
「……いや、まだだ」
「なら一緒に食べに行きますか?私、小腹が空いちゃって!たまにはこんな日も、いいですよね」
「……いつもの場所でいいか?」

 赤井さんは意外にも二つ返事で私の提案に乗ってくれる。マスタングを国道沿いのダイナーへと走らせた。

 ここは我々のような捜査官にありがたい24時間営業のダイナー。捜査終わりに、赤井さんがよく連れて行ってくれるところで、暗い夜道の中、赤い看板を眩しく光らせているからよく目立つ。中へ入ればいつだって、優しく私達を受け入れてくれるのだ。

「どれにしよっかなー?」

 私は何度通っていても毎回オーダーに悩んでしまうタイプで、その結果いつも同じものを頼む赤井さんを待たせてしまうことになってしまう。申し訳ないと思うけれど、彼はそんなこと気にもしていないような様子で待ってくれるので、やっぱり優しいなーと今日も思った。

「それで?」
「……はい?」
「何をしていたんだ、こんな時間に」

 赤井さんはどうやらまたその話がしたいようで、私が注文し終えたらすぐにそう切り出した。まだメニューも置いていないのに、他の話題はさせまいとするその姿勢に、ちょっとだけ心がざわつく。

「何ってこともないです。ただの夜のお散歩です」
「ホォー?こんな時間にか」

 ほっといてくださいと伝わる様に言ったつもりが、わざとらしい聞き方をされて居心地が悪くなる。私が答えられずに口籠っていると、それも許さないというように続けた。

「よくするのか?」
「……そうです、かね?」

 相変わらず声には棘を感じて、答えを濁した。だってもう、ずっとしている、ある種のルーティーンだ。

「君は、」
「でも赤井さん。私、捜査官で」
「それは分かっているよ」
「……じゃあ、っ」
「分かってはいるが……気にはなる」

 そう言うと、ちょうどテーブルにドリンクが運ばれてきた。赤井さんは手元に置かれたコーヒーに視線を配らせてから、再度、私を見据える。逃すつもりのなさそうな視線に気づかない振りをして机に置かれた炭酸水に口をつけた。

 分かっている。こう言う時は一度、無言を貫いてみるのがいい。運が良ければ、それ以上追及されない。

「夜に、一人で徘徊するなど……」

 でもそんな些細な抵抗も虚しく終わる。赤井さんは深いため息を吐いていた。

「平気ですよ、別に……っ」
「名前、」

 赤井さんに名前を呼ばれると、魔法がかかったかのように上手く話せなくなる。何処か、特別なもののように感じてしまうのだ。それは勝手な思い込みだと言うのに。

「じゃあ……極力、控えます。でも、仕方ない時もあるじゃないですか」
「何も、外出を禁じている訳ではない。当てもなく、ふらふらするなと言ったまでだ」
「……っ」
「それに、さっきの様子……危うく見えたよ」

 その言葉に、心臓がドキリと波打つ。

「あ、危ういって何ですかっ」
「……」
「っ、あ!、きましたよ!」

 タイミングよく軽食が運ばれてきて助かった。温かい食事が来てからは、赤井さんがこの話に触れることは無かった。とはいえあまり食事が喉を通らない。深夜のダイナーは背徳感があってワクワクするはずが、会話が弾むことはなかった。

「もう、こんな時間になっちゃいましたね」
「……そうだな」

 すっかり口数が減ってしまった赤井さんと、やや気まずい食事を終えて、私達は車へ乗り込む。マスタングの助手席に座りながら、私はずっと外の景色を眺めていた。

「名前、」

 私の家の前に車を停めてから、赤井さんは徐に口を開く。

「俺の見当違いならそれでいい。だが一人で夜道を歩くのには、理由があるんだろう?」
「……っ」
「話くらい、聞ける」

 その声が、なんとも優しくて胸の奥が掴まれるようだ。心配するようにこちらを見ていてくれているのが分かるから、視線を上げられない。壁を作るのは、一つの防衛手段。まるで全てを見通しているかのような赤井さんの言動に、やっぱりこの人には適わないと思うけれど、自分の心を曝け出すこともできない。

「ありがとうございます。でも、全然そんなんじゃなくて……っ」
「……名前、」
「今日、ご馳走様でした!それに送っていただいて、ありがとうございます」

 では、おやすみなさい!と、私はまるで、この空間から逃げ出すようにシートベルトを外し、振り返りもせずアパートへ駆けて行った。